ベンゾジアゼピンの副作用及び治療の体験集

ここでは、実際にベンゾジアゼピンを服用された患者さんの「ベンゾジアゼピン副作用及び治療」について、①服用の経過(服用した原疾患等)、②処方時の医師の説明内容、③服用BDZの種類、④服用期間と頻度、⑤離脱症状の状況、⑥奇異反応の状況、⑦減薬体験、⑧遷延性の症状などを掲載しています。


No.1 体験者(M.T.)

 私がベンゾジアゼピンを処方された原疾患は「慢性めまい症」という自律神経失調症でした。処方病院は国立J病院(前医)で、「抗てんかん薬でめまい症を治療する方法を開発した。副作用はほとんどなく、多くのめまい症患者の治療に成功している」という説明でした。処方されたベンゾジアゼピンはクロナゼパム(ランドセン)を「少量使用する」との説明でしたが最大1日4mgが処方され、後に知ったジアゼパム換算評価すると1日80mgもの高用量でした(この用量はデパス0.25mg錠を96錠と等価、つまり、1日デパス96錠を服用していたと同じ力価)。服用を開始すると「ベンゾジアゼピンの鎮静効果」でめまい感が弱く感じたので、医師は増量を続けました。薬物依存閾値とされるジアゼパム換算2700mgまで4週間ほどで到達していました。増量されると急激に体重が減少し始め、1年間で13kg減少し、ランドセンを服用すると歩けなくなるほどの厳しい薬物でした。体重減少を国立J病院へ報告すると、「製薬会社に照会したところ、るい痩の副作用の可能性があるので、すぐに服用を中止するように」指示があり、一気断薬となり、断薬すると痙攣・せん妄状態となりました。1年半の間の総処方量はジアゼパム換算30000mgとなっていました。

 離脱症状を発症した際、名古屋市立大学病院(後医)へ緊急搬送され、「ベンゾジアゼピン薬物依存及び離脱症状」の診断の下、減薬治療に1年半かけて断薬に成功しましたが、その際に認知機能障害及びうつ病を発症し、約3年間の寝たきり状態となりました。やっと、4年目に体調が回復し始め、4年経過後、元の職場に復職できました。名市大(後医)での減薬治療は、国立J病院(前医)がランドセンの処方用量を後医への「情報提供書」に記載せず隠したため、後医が「まさか、めまい症に抗てんかん薬のランドセンを1日4mgも処方されているとは想定しなかった」とされ、減薬速度が速すぎたことがわかり、各種の減薬方法の文献でみると、原則、「4週間ごとにジアゼパム換算0.5mgを減薬」に従えば、80mgの減薬には80÷0.5×4=640週間≒12年間かかります。その倍の速度で減薬しても6年間はかかる減薬治療が必要でした。名市大のてんかん専門医によれば「てんかん患者でも1日4mgは多い、ランドセンの減薬は原疾患のてんかんの再発状態を見ながら減薬するため、通常、数年はかかる」と言われています。復職後の4年後、名市大病院の「ベンゾジアゼピン薬物依存及び離脱症状、それに合併したうつ病及び残遺性後遺障害」の診断書により、国立J病院への医療過誤訴訟を提訴しました。

 しかし、裁判所は、被告側(国立J病院)の協力医の国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦医師が裁判所に提出した意見書の趣旨の「❹ ベンゾジアゼピンの離脱症状は、ベンゾジアゼピンの服用を中止すれば2~3週間で自然軽快するので、医学的治療の対象とはならない。したがって、患者が長期の離脱症状(遷延性離脱症候群)と訴えるものは、すべて元からの疾患(原疾患)の再燃である。❻ ベンゾジアゼピン薬物依存及び離脱症状を訴える患者は、元からの精神病(原疾患)であり、中には、自分の生きづらさをベンゾジアゼピンのせいにしている者が多いと考えられる。」を採用した結果、裁判所の判断は、「一旦、ベンゾジアゼピン薬物依存及び離脱症状を発症したが、短期間で完治し、その後、同時期に潜在していた別の疾患のうつ病等を発症した」と判決し、極めて少額の賠償金の支払いを命じました。したがって、裁判所は、国立J病院(前医)の「ベンゾジアゼピンの重篤な副作用の説明義務違反」及び「適切なベンゾジアゼピンの減薬を施行する注意義務違反」を認めたもの、賠償金額は訴訟費用にも満たない少額となり、その後、最高裁へ上告しましたが、最高裁は「上告理由に当たらないので審理せず、上告棄却」となりました。その結果、医療過誤訴訟は平成23年から準備し、平成25年に提訴、平成29年1審判決、平成30年2審判決、最高裁で確定が平成31年と、準備から約8年間を要しました。なお、名市大病院は、ベンゾジアゼピン減薬時の諸症状を緩和するため、抗うつ薬(ミアンセリン、テトラミド)を併用しながらベンゾジアゼピンを減薬しましたので、その経過は右図のとおりです。どの薬物を併用するかは患者ごとにケースバイケースとされています。

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付図6 抗うつ薬の代償によるBZDの減薬の治療経過.pdf
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主なベンゾジアゼピン系薬物の処方力価の換算表(体験者 M.T.).pdf
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松本俊彦意見書の要旨.pdf
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No.2 体験者(M.S.)

 平成13年(50歳)の時、めまいがひどくドクターショッピングで最終的に精神科に行く。診断はストレスによる自律神経失調症と言われ休職に入る。症状はめまい、不眠、胃腸障害、頻脈、動悸。この頃の薬はグランダキシン、トリプタノール、ハイゼット、ドグマチール、セパゾン、飲み始めて週に1回の診察だった。療養期間中も少しも回復の兆しがなく、めまいやだるさが出てきた。薬は言われるまま疑わず1日3度と寝る前に飲んだ。何年か経過して体調がさらに悪化して、めまいふらつきがひどくなり、雲の上を歩くようなふわふわ感が出てきた。薬の追加があり、アナフラニール、ハルシオンを服用すると今まで以上にフラフラ感が強く、飲むほどに悪化していき、主治医に相談するが薬のせいではないと言う。

 平成28年風邪をひいて風邪薬を優先して精神科の薬を三日間止めた。そうしたら大変な症状が出た。体全体にガソリンをかぶって火を付けて焼ける様に熱くなり我慢できない状態になった。両足首、両手首を刃物で切った。大量の出血で救急センターに搬送され命は助かった。精神科の医師は自律神経が高ぶって起きた事と言った。でも、考えてみたら風邪をひいて精神科の薬を3日休んで出た症状なのに関係がないのは変だと思った。自己判断で精神科の薬は止められないと気づいていたので。

 救急センターで傷口を縫って1日で退院しても体が熱いのは止まらず24時間アイスノンで足の裏や背中を冷やしていた。この状態で1ヵ月間我慢していたら、また全身がガソリンをかぶって火をつけたように熱くなり精神科に入院することになった。アイスノンが手放せなくなり、24時間体に付けたままで3日間が過ぎて、主治医が処方した薬がデパケンR、リスペリドン、リボトリール、トリプタノール、セパゾン。今度は6時間おきに飲んで頭がぼーっとして無気力になり、熱さを忘れさせるための薬だと分かった。1ヵ月半で退院して、その後自宅で無気力になり横たわったまま7ヶ月が過ぎる。主治医に「薬の副作用ではないか?」と尋ねると、「副作用を気にしていたら薬は飲めない。気にすることは無い」と返事が返ってきた。不審に思い医者探しが始まった。

 平成30年3月、やっと薬をわかる先生に出会えた。この先生は(前医)と違ってセパゾンには否定的な考えを持っている先生で、「自律神経失調症に全身が熱くなりピリピリして風呂にも入れないような症状はない」と言う。これから離脱療法が始まった。始めに今まで飲んでいたゼピンを1度に止めた。その結果、すぐに全身に熱いのが出て、先生もびっくりしたようで薬をリーゼ一錠だけ出した。次第に熱さが消えてきた。今の先生は「今まで17年間色々なベンゾジアゼピンを飲んだ副作用が体に残っている。消えるには長年かかる」と言った。やっとわかる先生に出会えて少し安心した。(前医)の処方箋はデパケンR、リスペリドン、リボトリール、トリプタノール、ハイゼット、グランダキシン、エリスバン、ソナラック、セパゾン、ドグマチール、ピンドロール、SSRI、アナフラニール。今はこれらを全て止めリーゼ5mg 1日3錠、エピリファイ1mg2錠、フルニトラゼパム1錠の3種類だけ。全部止めると再び副作用で全身熱くなるのが出るため最小限に出しているようだ。

 たったストレスによる自律神経失調症で、17年間と言う長い間にベンゾジアゼピン系の薬を大量に飲んだため、50歳から職を失いひどい体にさせられた。前医は薬が強ければ弱いものに変更しようと言う考えはなく、副作用をまた別の薬で押さえ込む。これでは現在もかかっている患者は、私と同じ道を辿る人がいると思う。



No.3 体験者(Y.I.)

 私は京都から主人の転勤で名古屋に移り住みました。そして、出産後の産後うつに。それから色々クリニックを転々としたのですが、うまくいかず名古屋の東部医療センターのKという医者に行き着きました。その時、抗鬱剤と一緒に処方されたのがレキソタン(ブロマゼパム)です。それから7年ほど経過しました。レキソタンを飲むと不眠が治り、寝られるのです。おそらく、その時は「鬱と不安症」だったと思います。その時、医師からはベンゾについての説明は全くありませんでした。7年間私が欲しいだけのレキソタンを処方してくれました。私はレキソタンには依存性があり副作用があるとは、これっぽっちも思っていませんでした。それからアメリカに来て、レキソタンが禁止薬物になっていることを知り、飲めなくなってしまいました。それからが大変です。不眠がひどくなり全く寝られない状態。体全体が痛い「繊維筋痛症」に、左目がすごく痛くて。横になっても下腹が痛く寝られない状態。頭が重く頭痛がし、頭が狂ってしまうような状態。体全体がビリビリしてしびれている感じ。ヒステリー球(咽喉頭異常感症)がぎろぎろいって、いたたまれない状態。光が明るくまともに外を歩けない。去年の今頃、結局アメリカでは医療が難しいと思い、日本に帰りました。そして自殺未遂を、そして入院してもロラゼパム(ワイパックス)というベンゾジアゼピンを、かなり量を減じて処方されました。そこでも、私は薬を信じアメリカに帰国後ずっと飲み続けてきました。しかし症状は一向に変わりません。

 アメリカでレキソタンは禁止薬物です。同じようにロラゼパムもベンゾジアゼピンですので、かなり疑いを持っていましたので、先月ぐらいから少しずつ断薬しようと思いました。しかし、それは私の体を蝕む結果になってしまいました。先程の症状に加えて「微熱やほてりや手の腫れ」が加わりそれに耐え切れなくなりロラゼパムを服用しました。すると気分だけはいいのです。私はこのことから確信しました。私は薬害の犠牲者かもしれないと。もう私の体は断薬しても元に戻らないかもしれない。わずかな望みを持ちながら、今減薬中です。



No.4 体験者(Y.I.)

 私は2年前、仙台でたった1カ月半でしたがMクリニックと言う心療内科に通っていました。症状は「不安と不眠」でした。そこで、睡眠剤と安定剤を処方されました。3回目の通院から眠剤ロヒプノールとハルシオン、安定剤レキソタンmax処方、頓服メイラックス、ドグマチール、通院時ジアゼパム注射となりました。約1カ月服薬していました。体調も良く主治医からは「一気にやめても大丈夫だ」と言われていたので、服薬が煩わしくなり、そろそろ止めようと思い、止めたところ約2日後あたりから、離脱症状が現れました。鳴り止まない高音耳鳴り、ドライアイ、ドライノーズ、ドライマウス、動悸、高血圧、頻脈、異臭がする。強い不安、手の震戦、足の痺れ、不眠などです。

 当初、まさか離脱症状とは分からず、近くの総合病院へ行きました。そこで、内科の先生へ心療内科に通院している事、処方された薬を伝えたところ、ベンゾジゼアピンの離脱症状の可能性があると言われました。しかも、この処方は重度精神病に処方するmax処方であると知りました。わたしは愕然とし、Mクリニックにクレームを言ったところ、「これらの症状はあなたの、元々の症状だ」と言われました。不安と不眠は有りましたが、その程度が10倍くらい悪化したものとなり、それ以外は全く無かったものでした。

 それから、私はほぼ寝たきりとなり、ネットで減薬の方法や離脱の緩和方法を調べまくりました。とりあえず、他の心療内科Tメンタルクリニックに転院し事情を説明し、長期作用型の安定剤に変えて貰い、そこから3カ月かけて減薬し断薬しました。食欲も無くほぼ寝たきりでした。途中で症状が辛い事への悲観により、自殺念慮も起きました。漢方も貰いましたが、あまり効果は感じられませんでした。この期間、比較的役に立ったのはサプリメントでナイアシン、グリシン、GABAでした。「ナイアシンは高量で摂取すると、抗不安薬と同じ効果がある」とフォッファー博士の文献により知りました。確かに効果が有りました。グリシン、GABAは同時摂取で眠くなる効果が有りました。

なんとか、3カ月でベンゾジアゼピンの断薬はできましたが、サプリは6カ月くらい使いました。断薬から1年半くらい過ぎますが、まだ少々の耳鳴りと記憶力が悪い症状が残っています。

 私が思うに日本の精神医療は大きな闇に包まれています。国ぐるみでメンタルヘルスを推奨し、「比較的健康な国民を精神科へ送ろう」としている流れとなっています。そこで、何も知らない方は廃人となっていくのでしょう。意図的な人口削減、アメリカ製薬会社の利益の追求を、感じます。長文で申し訳有りませんでしたが、是非応援したいので、この闇にメスを入れて頂きたく思います。



No.5 体験者(K.K.)

 転職して、数ヶ月後、「早期覚醒からの睡眠不足」になった。予約の取れた心療内科では「うつ病ではない」といわれていたが、実際は、パキシル(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)とマイスリ(ゾルピデムは、イミダゾピリジン系に分類される非ベンゾジアゼピン系の睡眠導入剤)を処方された。自信がなくなるや、体調が悪くなるなどあったので、担当医を変えて、トラドゾン(セロトニン遮断再取り込み阻害薬)中心及び睡眠薬中心の治療をすることになったが、悪化して休職に至った。

 その後、産業医に紹介された医者には「抑うつ状態」と判断され、サインバルタ(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)などの抗うつ剤を処方されたが、副作用が強く処方を中止した。その時の副作用で、過呼吸、息が乱れるなどがあったため、まずは、頓服としてセニラン(ブロマゼパム:ベンゾジアゼピン)を処方される。あと、頭痛(頭がミシミシ、ピキピキ、ズキズキ)があると訴えたためランドセン(クロナゼパム:最強力価のベンゾジアゼピンで「てんかん専門薬」)0.5mgが処方された。医師から、ランドセンは「頭痛と息切れ用だ」と説明された。

  一年前は、外出できる日があったが、昨年2018年の12月頃から、ランドセンを飲んでも頭痛、息乱れがとまらず、外出があまりできなくなった。この症状を抑えるためには、マイスリ(ゾルピデムは、イミダゾピリジン系に分類される非ベンゾジアゼピン系の睡眠導入剤)を服用すれば、ある程度おさえられる。ただ、寝て起きると息の乱れや頭痛の症状が再発する。メイラックス(ロフラゼプ酸エチル:ベンゾジアゼピン)に置換しようとしたがうまくいかず、ランドセンも0.25mgに減らしたがうまくいかず、最終的には、医師から「適当に調整してくれ」といわれた。あまり進展がないので、今月から転院することにした。

 同じ会社の休職体験者で、快方に向かったと聞いたので、期待して転院しましたがランドセンを週に一回減らすなど前の医者のように一気減薬はなかったですが、朝一の息切れは全く改善されませんでした。受付の方には、「相性だから」と事前に言われたとおりでした。抗うつ剤が全く効かなかったので、クスリでの改善は期待できそうにありません。

 転院後も8か月、医者の処方通りクスリを飲んだのが間違いでした。前医のとき、おかしいなと思ったとき(依存症発症の閾値を超えたあたり)、近所の心療内科(F心療内科)には、「ランドセンを飲んでいたら、処置のしようがない」と門前払いされ、診断書の発行を目的に、前医に戻ったのが間違いでした。心療内科は、当たり外れが多いのでネットの口コミだけでなく、判断できる材料が必要だと思います。私のように、ただの不眠症に力価が強いパキシル(パロキセチン:SSRI)を処方し、うつ病を最後まで否定した医者、抗うつ剤でやられているところにさらに力価が最強のランドセン(ランドセン1mg=ジアゼパム20mgと等価用量)を処方しながら、最後まで「弱いクスリだ」と言っていた医者、彼らを制限するには裁判で現状を明らかにし、制限するしかないと思います。



No.6 体験者(K.M.)

「ベンゾジアゼピン」がこんなに怖い薬だとは知りませんでした。私は周りの人を、そして西洋医学を信じて生きてきました。医療関係者として複雑交代制勤務を22歳からしていました。深夜勤務は、一人で30人以上の患者さんの安全を守る激務でしたから走り回っていました。朝7時30分〜12時30分まで勤務し、一旦帰宅。その晩9時30分から翌朝8時30分までの激務のあと帰宅。昼に寝るために処方されたのが抗うつ薬「アモキサン」でした。「仕事が大変、昼はなかなか家で眠れない」と訴えたからでしょう。最初は生協診療所の、内科医師に処方され、師からは「弱い薬」と言われました。その後、引っ越ししたので、職場近くのK内科に替えました。そこでは何を処方されたか覚えていません。不眠➡自律神経失調症➡うつ➡新型うつ病➡躁うつ病➡双極障害➡重度うつと、病名は変わっていきました。その度に薬の種類は変わり、量も増えました。飲んでも、飲んでも効きませんでした。うつ病の薬でうつ及び不眠の副作用が出ました。枕のせいかと思い、枕を9個買い換えました。マットレスが悪いのかと思い、厚さ5センチ、8センチ、15センチと色々揃えましたが、いずれも不眠には効きませんでした。でも、依存性だけはありましたから、熱心に、何をおいても薬を貰いにいきました。真面目に薬の袋に書いてある通りに残さず飲みました。激太りしました。44キロだったのに68キロになりました。制服のサイズは4Lになり、特注でした。生理の出血量が非常に多く、三日間は大変でした。仕事は休めず毎月恐怖でした。それもベンゾジアゼピンの副作用だったことは、やっと最近知りました。覚えているだけでも、10種類は処方されました。ハルシオン(Triazolam)は、服用したら3日間(トイレ以外は)寝続け、よく効きました。ハルシオンは別の内科で処方されました。そのあとは心療内科で、ユーロジン(Estazolam)、ワイパックス(Lorazepam)、レンドルミン(Brotizolam)、フルトラニゼパム(Flunitrazepam)、ブロチゾラム(Brotizolam)、レキソタン(Bromazepam)、ソラナックス(Alprazolam)、リボトリール(Clonazepam)、ハルラック(Triazolam)、その他:リフレックス(Mirtazapine、四環系抗うつ薬)、抗痙攣剤テグレトール(抗てんかん薬)、ラミクタール(抗てんかん薬)、デジレル(Trazodone、抗うつ薬)など、多数次々と処方されるがまま服用しました。私はホントに馬鹿でした、高血圧になり、コレステロールも上がり、脱毛、全身皮膚掻痒、夜間の失禁、背部痛、筋肉の痛み咳、子宮出血、子宮ガンの疑いと言われました。こうして数々副作用が出ましたが、その時は副作用とも知りませんでした。医薬品添付文書の存在も知りませんでした。まさに病気のデパートでした。いずれも添付文書に記載されている「ベンゾジアゼピンの副作用」だったとは知りませんでした。もっと早く、ベンゾジアゼピン被害者の会と出会いたかったです。究極は、63歳で耳の激しい痛みで、ホカロンを耳に貼付、そのあと64歳で目の激しい痛み、目が開かない➡眼瞼けいれん➡退職➡障害者手帳の却下、首が震える、体が揺れる。2年前に、薬を完全にやめた今は離脱症状で、七転八倒の日々です。障害者とも認められないのです。身体の震えと目の痛み、目が開かない、目の眩しさ、涙が一滴も出ない、鼻の痛み、顔中の痛み、首の痛み、肩には20キロの鉄の重しが乗せられている強ばりの日々です。四肢冷感。足の裏の痛み、起きて落ちている輪ゴムを拾うのも揺れて拾えない。全身のあらゆる症状の離脱症状で、毎日、苦しんでいます。私は、ベンゾジアゼピンの被害は「私で最後にして」と叫びたい。



No.7 体験者(Y.S.)

 この体験談は、私はベッドの寝たきりから送信しております。最初は、ただの「耳鳴り」を騒音と勘違いし、不眠になったことにより、勤務先会社からの勧めで(ちゃんとした心療内科の予約が取れなかったため)、仕方なく精神科に行ったところ、「耳鳴りだった」と言っているのに、たまたま持参していたメモに「幻聴」と一言書いてあっただけで、統合失調症だと決めつけられ入院いたしました。その後、自主退院しましたが、統合失調症の薬の副作用のため、自炊できなくなり再入院しました。統合失調症の薬はやめられましたが、その際、睡眠薬として処方されたのがユーロジン(Estazolam)です。合計で7日、連続では7日しか飲んでいなかったのですが、ひどい頭痛と聴覚過敏の副作用があったため、医師に言うと変薬もなしに、その日で服用中止となりました。すると血中濃度がゼロになった翌々日、体が揺れるようになったのです。最初は「めまいのひどいもの」だと思っていましたが、そうではなく神経がおかしくなったようでした。私はもともと「めまい」の症状があり、治っていたとはいえ、まだ自律神経が不安定な状態だったのでしょう。おそらく内耳の前庭神経に通じる中枢神経が、ベンゾジアゼピンの中止によって、どうにかなってしまったのかと推測しています。 1週間後、薬を1日再服用しましたが、また頭痛が酷かったため服用をやめたところ、体の震えや頭鳴りが続き、目にも異常が出てきたため、怖くなってさらに1週間後、倍量を服用したところ、体の震えは治りましたが、体の揺れは一向に収まりません。目の症状も残ってしまいました。短期間での依存はないと言われていますが、薬の供給がなくなると神経の異常が起こってしまうようです。

 最初の一気断薬から約3ヶ月、そんな症状でもいつかは収まると思い微量減薬してきましたが、つい先日、複数飲んでいる錠剤を一つ飲み忘れてしまったのです。夜中に飲んでいるものですが、いつもより9時間ほどあとに気づきすぐ飲みました。ですが、遅かったのです。すぐに飲み直したので、軽い副作用(又は離脱症状)でおさまってくれ、と願ったのですが最悪のケースでした。今まで苦労してきた前庭神経の異常がさらに悪化したのです。もともと異常が残っていたところに薬の供給が減ったからでしょうか。

 今まで、左半身はなんともなく右側だけが、右から押される感じだったものが、左後方下の方へ、今までより強く引っ張られる感じが収まらず、ずっと動悸と皮膚の引き攣りみたいなものが続き、喉を締められているようです。腕を回すと自分の思っているより後方に早く回ります。まっすぐ歩こうとすると横や後ろへ抵抗を感じ、筋肉があっという間に疲れてしまいます。そのほかに視神経も、さらにおかしくなってしまい、常に寄り目にしているような、とてもおかしな視界です。以前は自転車や車に乗って動いている時は平気でしたが、今は前から首を抑えられるような感じになってしまい、それも困難になってしまいました。こんな数時間飲み遅れただけでこんなことになってしまうのです。

 最初の神経の異常からずっと働けていませんが、日常生活はなんとかやっていました。いつか終わりが来ると。ですが、今回、自己責任とはいえ買い物すら困難になってしまいました。散歩も、遊ぶこともできません。長時間立っていることも座っていることもできません。でも一人暮らしなのでやっていかねばなりません。もともとは、極々短期間の断続的な服用でしかなかったのに、あんまりです。急断薬と個人の体質により、副作用(又は離脱症状)の回復は服薬期間には関わらず数年かかるようですが、その前に疲弊してしまうでしょう。もう元の人間の世界には戻れないのではないかと思っています。ネットで自分と同じ症状の人が、二回断薬失敗していたのですが、元に戻っておられないようでした。ベンゾジアゼピンの急断薬を何度も続けると、非常に体が敏感になって、元に戻らないとも言われています。最初の断続的な服用が小さな断薬行為になっていたことも否定できません。2回失敗しても軽い症状のみで、何もない方もいますが体質によるかもしれませんが、こんな短期間で、人生と体を崩壊させる薬だということを知ってもらい、新規の患者への処方は禁止(又は制限)すべきだと思います。

 私は家族のサポートも得られず、この先どうなるかわからず、最悪のパターンでしょう。2週間に満たない服用期間でも、急断薬・急減薬すると人生をぶち壊す症状が出ることもあるのです。医師には、どんな短期処方でもゆっくり減薬することを周知させねばなりません。


No.8 体験者(S.F.)

 現在の自分の状況説明です。現在、私は心身共にとても弱っており、ただただ毎日、心と体を休めるような生活を約7ヶ月過ごしています。大きく悩む症状は、

1.不安感が強い

2.恐怖感が強い

3.笑顔がほぼ無い

4.人と関わりにくい

5.首後ろの筋肉が硬直

6.緊張すると息がしにくくなる

7.手の指のシワがいきなり強く現れる

8.足裏がピリピリ電気か流れたようになる

9.仕事の事がほとんど考えられない

10.無理して仕事の事を考えると筋肉が硬直

11.お店に行くのが困難な場合がある

12.店員さんにありがとうございましたと言う時に緊張して声が出にくくなる

13.記憶力が低下している

このような事です。

 なぜこのような状態になったのかと言いますと、約8年間服用しておりました抗うつ薬・抗不安薬2-3種類を2019年2月20日に一気に断薬した為です。一気に断薬する事になった経緯ですが、最初のきっかけは、長年うつ病治療の為にかかっていた心療内科のMクリニックの先生に、処方されている薬が危険なものなのではないか?と資料を見せて相談した事になります。2019年1月あたりだったと思います。その結果、M先生は少し怒ったような態度となり、8年間処方されていた薬を全てSTOPされました。

 長年服用していた薬がいきなりなくなった事に対し、とても大きな不安や恐怖感を感じた為、他の心療内科に相談しようと、長府のKOクリニックを受診しました。受診する際に、薬の服用で攻撃性・衝動性が高まっている(奇異反応)という内容やそれに関する資料を持っていき先生にお渡ししました。初診の際には、あまりその資料を読まれなかったようで、ひとまずこれまで出ていた薬と同じものを処方頂いたのですが、2回目に通院しましたところ、薬のせいにしているから、うちでは診られないと言われました。当時は、長年服用していた薬が急に切れる事に不安や恐怖感が強かった為、次に新下関のKAクリニックに電話をしました。KAクリニックの先生はとても親切な方で、電話の相談にて約30分程度お話を聞いて下さいまして、アドバイスを頂けました。この通話内で、攻撃性や衝動性が高まっているのは薬の副作用の可能性があるから、苦しいと思うが全ての薬を辞めてみたらどうか?と言われました。この流れにて、2019年2月20日に私は全ての薬を一気断薬しました。

 一気断薬後、最初の1ヶ月は地獄の中の地獄のような状態を味わい、世界が壊れたような中に生きていました。ただただ、この苦しい症状が消えるのを耐えるのみでした。その後の数ヶ月も、もちろん地獄の中です。あまりの苦しさに、この頃からインターネットで薬について、必死に調べるようになったのですが、私が服用していた薬はベンゾジアゼピン系の薬というもので、これは依存性が非常に高いものだという事がわかりました。諸外国では、2~4週間以上の処方は制限されているものであるようですが、私は約100倍の期間服用していた事になります。

 また、ベンゾジアゼピン離脱症候群というものがある事を知り、同時に世界中でこの症状で苦しんでいる方がいる事を知りました。Yahooニュースでも、ベンゾジアゼピン注意喚起が訴えられており、現在はこれらの薬の危険性が少しずつ世の中に広まっているようです。被害者サイトも立ち上がり、戦っている方もいらっしゃるのですが、国内の医療者の利権の力が強いようで、ベンゾジアゼピンにおける被害が、まだ我が国では認められていないようです。

 断薬後7か月の経過となりますが、現在では上記に列挙しましたような症状があり、仕事もほとんど出来ず過ごしている状態です。IT事業を約13年間行っておりますが、この7ヶ月に関しては仕事が全く出来ない状況を過ごしております。再服薬すると、現在感じている辛い症状は治まるようなのですが、また攻撃性・衝動性が高まった自分に戻りたくない為、これまで必死に耐えてきました。薬を飲むと、我を失いおかしな行動を取るような自分となり、薬を飲まないと、この苦しみの中にいる事になり、どちらも地獄なのですが、私はこの度2018年1月29日に産まれた自分の子供(女の子)に、ちゃんとした父親の姿を見せたい為、薬を飲まずに回復する道を選びました。しかし、産まれて2週間後に嫁が子供を連れて出ていきました為、子供にはそれから約1年半会えておりません。

 断薬後7ヶ月経過した今は、攻撃的な自分はほとんど感じなくなりました。ただただ、弱っている自分を感じ絶望的になる事もありますが、断薬した初期と比べると少しずつ少しずつ苦しさは軽減してきているようです。まだ、仕事について、ほとんど手がつかない状態で不安も多いですが、このまま回復に向かっていきたいと思っております。

 ●ベンゾジアゼピン系の薬について、精神科医の多くは、その危険性を十分に理解されていないケースが多いようです。主治医であったM先生も、まさか全ての薬をSTOPするという狂気の沙汰とは思えない行動を取りました事や、KOクリニックの先生も薬に非を求めている為に診られないという判断を取られた事(責任を追求されたくないという意識)、最後に頼らせて頂きましたKA先生は、とても御丁寧な方ではありましたが、一気断薬をアドバイスした事から、誰もが適切な知識を持っていないものだと判断しております。

 ●本来、これらの薬は何年という期間をかけて減薬後に断薬を行うべきもののようです。不安感が強い時は、体をマッサージしてもらうと最も安心します。


No.9 体験者(T.Y.)

 私は今、離脱症状で普通の生活も送れない状態で悩んでいます。いろいろ探している中でこちらのサイトを見つけましたので、メールをさせて頂きました。今までの私の状態を書き記しましたので読んでいただければと思います。

 2017年春頃まで、リボトリール6mgを服用し、この間服薬量に前後はありますが、ベンゾジアゼピン薬物をこの間9年ほど飲み続けたことになります。後で知ることになりますが、この時点で私はジアゼパム換算値120mgという恐ろしい量を飲んでいたことになります。悪魔の量です。

 それまでに、精神薬は、ジプレキサ リスパダール レメロン ストラテラ デパケン ロヒプノール テグレトール ラミクタール デパス、などあらゆる精神薬を服用してきました。そこから、私は薬を飲まなくても大丈夫なのではないか。このまま薬漬けになってしまっては悪化するだけだという判断で、薬をやめる決意を固めました。そして、私は全く無知のまま薬を全部やめました。そしたら、大変なことになることに気づくことになります。その後一日くらい経ち、頭がくらくらし始め、頭痛と目眩がひどくなり、なんだこの状態は?と悩みましたが、この時ちょうど新しいサプリを飲み始めていた時と重なりましたので、もしやそれが原因なのかと、そのサプリを片手に一度内科を受診しました。しかし、医者はこのサプリはほとんどがビタミンだし、これが原因とは考えにくい。しかもそんな症状今まで見たこともない。もし、精密検査するなら紹介状を出すよということで診察は終わりました。

 その後、妻がネットで色々検索していたところ、薬の離脱症状という言葉に行き当たりました。特に、ベンゾジアゼピン薬物を急にやめた時、起こりうる症状だということを私は、この時初めて知ることになります。そして、そこから私は色々調べ始め、ゆっくり減薬をしなくてはいけない、一気断薬は命にもかかわることがあることを知り、一度再服薬をし、自分なりに少しずつ減薬していくことを決意しました。

 この時、身体は一度また完全に元に戻りました。そこから、6mgを4mgにし、半年くらいかけて2mgまで減らし年末には1mgまで減薬することができました。ちなみに、他の精神薬はほとんど全部一気に断薬しましたが、症状はなにも変わらず断薬することができました。そして、精神薬をやめて、減薬していくたびに私の精神症状はよくなり、今まで胸が苦しくなったり、発作的に睡眠薬を何度もがぶ飲みして自殺未遂を何度もしていた自分が、うそのようになくなりました。希死念慮ばかりが浮かんでいたのは、薬漬けになっていたせいだったのだ、とこの時やっと知ることになります。全て気づくのが遅すぎる大バカだったのです。自分で調べ上げようともせず、医者が言われるがまま、訳のわからない精神薬を9年も飲み続けたのですから。

 そして、最後にベンゾジアゼピンのリボトリールのみとなりました。このままゆっくり減薬していけば全部完全に断薬できると少し安易な部分があったと思われます。 この時点での私の落ち度は、ジアゼパム換算値というベンゾジアゼピンの力価というところまで調べあげられなかったところです。まさか、リボトリール1mgがジアゼパム換算値20mgもの強力価の悪魔の薬物とは、この時点で私は全くの無知だったのです。話は減薬していく段階に戻りますが、2018年、年が明けて私はリボトリールを1mgから0.5mgにどんと減薬しました。この時頭の重たさ、頭痛、少しの目眩を覚えた記憶が鮮明に残っています。しかし、耐えうる量なら、それを維持していれば、徐々に身体もその量に慣れてくるということがネットに載っていて、それを信じ、少し辛い状態になりましたが、この量で頑張ってみようと決意したのです。 そして、精神状態は完全に回復していましたので、私はリハビリのように少しパートで働こうと決意し、近くのドラッグストアーでパートとして働くことになります。

 この働いている間、頭痛や頭が常に重たく目眩も少々ありましたが、身体の辛さくらい気合いでなんとかなるだろうという安易な考えで働き続けました。リボトリール0.5mgを維持して1ヶ月くらい経った頃、2日ほど完全にベンゾジアゼピンを抜いてみました。そしたら急な40度の高熱が出て、5日くらいで7度3分から5分に下がったものの、そこから微熱が下がることは無くなりました。そんな状態であるにも関わらず、私は2月に入り、リボトリールを0.25mgまで減薬したのです。気合いがあればなんとか乗り切れる、絶対乗り切ってみせる、気合いで断薬してやるという強い思いしかその時の私にはありませんでした。この時に感じたのが、夜、携帯を見ることができなくなる目の眩しさと、小さな音がまるで耳元で大きな音が鳴っているような感覚でした。0.25mgを飲み続けながら仕事をしていた仕事中、あまりの目眩と急な吐き気に襲われ早退し、その後、様子を見ましたが改善せず、仕事を続けられない状態になりました。そこから0.25mgを維持服用し続けましたが、2018年4月29日、服用し続けているにも関わらず歩行困難な状態に陥ったのです。

 服用しているにも関わらず、こんな状態になってしまうのなら、もう服用しても意味がないという独断で、そこから私は一気に0.25mgを切りました。これが私の失敗でした。リボトリール1mgの4分の1の量にも関わらず、セルシンとかのベンゾジアゼピンの薬にしたら5mgを一気断薬したことと変わらないことを後で知ることになります。つまり、一気断薬をしないように減薬していったにも関わらず、ジアゼパム換算値の無知さゆえに、自分ではゆっくり抜いたつもりがセルシンで言えば5mgという量を一気に抜いてしまったのです。

 そこからの状態は、私は地獄を体験することになります。断薬2日目、脚の痺れを覚えました。断薬3日目歩行はほぼできなくなり、音は頭の中をガシャガシャと殴るような音を感じるようになりました。断薬4日目、脚の痺れがさらに強くなり、寒気がし、身体が震えるほどになりました。この時右足の親指の感覚が麻痺したことを記憶しています。断薬5日目、脚だけでなく、頭の後ろや首の後ろの麻痺も覚えました。さらに寒気が強くなりました。あと、座っている状態で身体が左右に揺れ始めたのはこの時です。さらに目の前に常に猩々蝿が飛び交っているように見え、何度も何度も何もいない目の前を、手で私は払いのけていたのを強く覚えています。断薬6日目、身体が地中に埋もれていくような感覚に襲われました。そして、断薬7日目にして、脚はビリビリ痙攣し、身体は左右に揺れが更に強くなり、目を開けることすら困難になり、目の中は血走り、全く歩けない状態に陥り、息が苦しくなり、泣く泣くリボトリール0.25mgを再服薬しました。

 そこから、また3日、気合いで頑張りましたが、立ち上がることも一歩前に歩くこともできなくなり、目はほぼ開けることができなくなり、動悸が激しくなり、心臓は飛び出しそうなほどドクンドクンと波打ち、息も絶え絶えになり、吐きそうにもなり、悔しい思いをしながら、また悪魔の薬リボトリールを0.25mg服薬することになります。

 15分ほど経つと、吐き気や動悸も収まり、一歩歩くこともできなくなっていた身体がスタスタと歩けるようになり、私はこの薬の恐ろしさを、この時改めて肌で身にしみることになります。立ち上がることも一歩踏み出すこともできなくなり、一人でおしっこに行くこともできなくなり、妻におんぶしてもらって、やっとこさトイレに行けた記憶が鮮明に残っています。そこから気合いで5日頑張りましたが、5月14日心臓は張り裂けそうになり、息も絶え絶え苦しくなり呼吸困難 目も開けられなく、吐きそうになり、一歩歩くことすらできなくなり、「ちくしょうちくしょう」と大きな声で怒鳴りながらリボトリール0.25mgを服薬したのを覚えています。

 そこから5月15日から気合いで今までの症状を乗り越え、心臓も破裂しそうになり、呼吸困難にもなり、身体も左右に揺れながら、それでも気合いで完全に断薬することに成功しました。とこの時点では、私はベンゾジアゼピンの悪魔の薬物についに勝ったという強い気持ちでいました。まさか、ここから4ヶ月も経って更なる地獄が襲って来ようとは、この時は夢にも思っていなかったです。減薬を始める前あった70キロの体重は、くすりを抜いていくたびに減少し、完全断薬した時点では55キロまで体重は減少していました。ここから、さらに、食べても食べても、体重は減少し続けることになります。ここから小腸がお腹の中をのたうち回ることになります。お腹の中でグニョングニョンと小腸はのたうち回り、その状態が続き、そして、寝ている状態でも常に脚が痙攣し続け、まともに睡眠も取れない状態で頑張って生きていたのですが、完全断薬から4ヶ月が過ぎた9月18日の体重はついに47キロまで減少し、ついに寝たきりになりました。ほぼ、骨と皮だけの状態になり、次の日の9月19日の朝意識が遠のき始め、死を覚悟することになります。

 なぜか、自然と涙がボロボロとこぼれ落ちました。悲しさも確かにあったと思いますが、どちらかというと悲しさではなく、おそらく、もう少し娘達の成長をみていたかった。家族とともにもう少し幸せを味わいたかった。完全に悪魔の薬物に負けたという悔しい気持ちのほうが強かったのかもしれません。私は妻に告げました。救急車は呼ばないで欲しい。もうこれは、俺の天命だったんだ。遺書も残し、俺はこのまま眠るように死んでも仕方のないこと。だから、最期はおまえに看取って欲しい、判断はおまえに任せる、と告げまた意識が二回ほど遠のきかけた時、妻は救急車を呼ぶ決断を下しました。病院に運ばれ点滴を受け、帰宅し、私は次の日もう一度リボトリールを飲んでやり直すという大決断に出ることになります。妻の思いに応えもう一度減薬にチャレンジするという決意を固めたのです。

 そして、リボトリールを1mg服薬しました。起き上がることができるようになったものの、このもう少しだけでも生き延びなければという思いとは裏腹に、身体が完全に元に戻ることはありませんでした。まっすぐソファに腰掛けるのも困難で、もう丸一年以上ソファでくつろげたこともありません。脚には力が入らない状態が続いています。歩くことは依然として普通にまっすぐ歩行することは出来ず、頭が常に重く、頭痛が続き骨盤も常に痛い状態であぐらもかくことが困難です。あと、かがんだり、下のものを取るだけでも大変な状態が続いている状態です。あと、素足だと廊下に足の裏が痛くて立てられません。おしっこするために立っているだけで右足はビリビリし、左足の小指と薬指の感覚は完全に麻痺した状態になっています。簡単になりますが、今までの私の状態です。

  普通の生活を送れればと私なりに頑張ってきましたが、ツライ離脱に根負けしてしまいそうです。 


No.10 体験者(Y.O.)

 娘が、2019年11月2日、ベンゾジアピン系薬物の断薬の後遺症で、命をたちました。守ってあげることも助けてあげることも出来なかった自分の無力さに、ただただ、許してほしいと手を合わせる毎日です。遺書には、「自分と同じように苦しむ人が一人でもいなくなることを願い、拡散してほしい」との思いが切々と綴られていました。

 残された私への使命と思い、49日を終え、自分自身も前へ歩かなければ、何か出来ることがあるのではないかとの思いでメッセージを受け止めて頂けたら、幸いです

 下記、娘が残したベンゾジアピンの後遺症について書かれたものです。娘と同じように、今現在も苦しんでいらっしゃる大勢の方達が、1日も早く薬害から解放され、以前の生活を取り戻されますよう、心よりお祈りします…。

説明されたことを一回で理解できない。計算ができない。自分から言葉がでない。ALSのような症状。右胸と左胸の圧迫により、横にならないと息が吸えない。脳の空洞感。脳の中からの強烈な痺れ。1日10分しか立っていられない。全身が物凄い重力で床に沈む感覚。首が左に傾く。全身が引き裂かれる。全身の動かし方がわからない。頭とおでこに強烈なしめつけ。脳梗塞なら、どんなに良かったか、ガンや難病なら、スイスで安楽死出来たのに。少しの会話で噛む、滑舌はかなり良かったのに。「身体表現性障害」ではない。顔がひきつれてずっと同じ症状。経験したことのない人に、そのまま症状をコピーしたら、瞬時に救急車を呼んでいるレベルだろう、それが毎日24時間。顔が動かない。泣きたいのに何も感じることができない。辛いも嬉しいも感じられない。食べた直後に、あり得ないほどの空腹感。右足の突っ張り。頭蓋骨と頭の皮膚が引き剥がされる。地獄、拷問。群馬病院の主治医は、薬を止めたら離脱症状がでることを一言も説明しなかった。排尿感覚の異常。空間がおかしい。冷凍庫にいる感覚。両手、四肢の異常な冷え。もし、この症状をあなたが体験したとしたら、すぐに救急車を呼んでいるでしょう。それが24時間、毎日人生で最大の傷みでした。

服用薬剤についてお薬手帳が古いものから、処分されていて、一部ですが紹介させて頂きます。

2017年 4月11日調剤日

レクサプロ錠1日2錠

パルプロ酸ナトリウム錠200㎎1日3錠

オースギ抑肝散料エキス毎食後

セパゾン(Cloxazolam) 錠2 朝昼食後

セパゾン錠2 就寝前

トラゾドン塩酸錠25㎎、一回1錠 不眠時

チオスター錠 20 胃痛時

これらの薬剤を、きっちりと医師の指示通りに服用していました。昨年2018年の2月5日に、これらを断薬した結果、離脱症状に心身を翻弄されました。


No.11 体験者(N.K.)

私はベンゾジアゼピン系の薬を17年間程服用していました。経緯を順に記していくと、大学受験生の頃に不眠になり、病院でハルシオンを処方されたのが始まりです。受験が終わって落ち着いたら薬をやめたらいいと言われ、安心して服用していました。結局、都内に進学後も入眠困難が出やすく、その度に通院、睡眠薬を貰っていました。次に、就活の頃、不安定な心理状態になって大学の教授に相談したところ「病院を探してみては」と助言され、大きな病院を受診し、抗うつ剤による治療が始まりました。パキシル、リボトリール、サイレースを主に服用していました。今思えば、ひどい強力価の薬の掛け合わせなのに、当時は情報もなく無知で、医療を信用していました。

 社会進出後も、午前中は頭が朦朧としていて座っていることしかできない、朝どうしても起きられなくて遅刻する、など社会人としてのNG行動を繰り返し、仕事をクビになることが続きました。夜飲んだ薬が翌日まで残っていて、生活に支障が出ていることに気づかず、自分は社会不適合者なのではと悩んでいました。午前中は頭が朦朧としていること以外にも、慢性的な胃腸虚弱、ドライアイ、重度の冷え症、首や背中のこわばり、睡眠中の夢の多さ、睡眠中の歯のくいしばり、激しい感情のコントロールの困難など、当時から服用中に出ている薬物依存からくる諸症状がありました。もし家族などと同居していたら私の微妙な変化に気づいたかもしれないですが、多岐に渡る不定愁訴の原因が薬にあるとは疑わず、それぞれの病院に通院していました。ドライアイに関しては目が痛くてコンタクトレンズが不快でたまらなくなり、レーシック手術を受けたりもしました。

 睡眠薬は耐性ができて次第に効かなくなるので種類を変えたり、増量したり、強い薬への切り替えが行われました。わけもなくひどく不安定になるなどの精神面は鬱症状の悪化として、これも薬を一時的に増量するなどされていました。薬を飲み続ける不安はありましたが、全く緩和してこない抜け出せない鬱に、自分を責め、現実逃避の気持ちになっていたと思います。

 また、次第に悪夢が悪化し、起きてからの精神状態が劣悪なため、睡眠時ポリグラフ検査も何度か受けました。睡眠中の波形は波を描かずほぼ一定で、レム睡眠しかないと言われましたが、「パキシルを飲んでいるときはレム睡眠になりやすいので皆こうなる」と言われ、特に解決法は得られないままでした。首、肩のこわばりも深刻で、たくさんの寝具を試したり、鍼灸、整体、ペインクリニック、ボトックス治療など、治療方法を模索して散財もしました。

 30歳で帰省した後、環境の変化で少し落ち着いていき、薬から解放されたいという思いが湧いたことでまずパキシルを減薬していき、断薬しました。後頭部に走る電撃のような離脱症状が全く出なくなるまでには半年以上かかりました。

 本気で全ての薬の断薬を決意したのはアシュトンマニュアルを読んでからでした。減薬した順番の記憶が曖昧なのですが、最後に残ったのはリボトリールだったと思います。でも自分の服用薬のジアゼパム換算は一人でやるには難解で、よくわからないままに減らし、断薬しました。できる限り少しずつ減らしたと思っていましたが、リボトリールは離脱が難しく、かなり長期の減薬期間が必要なものだとは後に知ったことで、半年くらいで止めたので急激な減薬になったのだと思います。

 断薬後、以前まで持病だと思っていた症状の回復など良い変化もあったのですが、服用中からもあった睡眠障害がずいぶん経ってから発生、急に悪化するなど、ランダムに苦しむことが続いています。睡眠障害の内容は、浅い睡眠と長いリアルな体感の悪夢、脳内の痙攣感、起床時の絶望感などで、まさに毎日生き地獄で気が狂いそうになります。ふと気まぐれに睡眠障害が発生し、酷くなって長期化します。これに対しては最近、アシュトンマニュアルを読み直し、対処の可能性の1つとして挙げられていた抗けいれん薬プレガバリン(リリカ)を試すことでだいぶ収まり、改めて脳内が激しくけいれん発作を起こしていることを認識しています。ただし、リリカを長期服用することのリスクもあるはずなのでいずれは減薬をと思うのですが、服用量をほんの少し減らしただけで症状が再燃するので怖く、減薬に慎重になってしまう自分がいます。その他には背中の筋肉硬直的な痛みも続いています。これもときどき現れては消えるのですが、最近は何ヵ月も続いています。また、ふいに聞こえてくる物音にビクッとしてしまう聴覚過敏もあります。音が頭の中に刺さってくる感じで、落ち着いた睡眠を得られない理由の1つでもあります。

 アシュトンマニュアルなどから学んだことによると、ベンゾジアゼピンによる鎮静で抑えられていた脳内のさまざまな役割部分が、ベンゾジアゼピンが減ることで復帰し、抑えが取れた反動で過活動となっているのが離脱症状だそうです。深い睡眠は浅く夢の多い睡眠に、緩和は緊張に、鎮静は痙攣にと、反作用的に暴発が起きていくようでした。アシュトンマニュアルの追補記載に、「断薬後に離脱症状が現れた場合、再服用すべきか」という質問への回答がありましたが、まだ脳内が回復しきっていないから起きている現象と言え、新たにベンゾジアゼピンをつぎ込むと更に弱るので、理屈から考えてあまり良くないというようなことが書かれていました。ならば、脳内の暴走が鎮まるまで私は耐え続けるしかないのかもしれませんが、正直どこまで我慢できるかわからず、また終わりがあるのかも定かではないのではと思ってしまいます。また、皮肉にも、今思えばベンゾジアゼピンの離脱からきていた目の不調をコンタクトが使えないドライアイ体質だと思い込んで受けたレーシック手術によって、後々、後遺症を患ってしまい、抱える症状が複雑化しているのも現状です。

 以上のような長期化する離脱症状により、社会生活は立ち行かなくなりやすく、二次的な問題として社会に取り残されていくという問題もあります。それでもまだ、過去の私のように、向精神薬がサプリメントのように日常化している人が、現在もたくさんいるのが今の日本だと思います。メンタルクリニックの敷居は昔よりずっと低く、些細なきっかけで受診する人も多いでしょう。もともとの症状の悪化のような症状が、実は薬の離脱症状だと気づくのは難しく、服用さえしていれば症状が落ち着くという体感を通して、薬が不可欠なものになっていくのは当然のように思います。そして、もし勇気を出して減薬に挑戦しようとしても、「多くの医師がその知識がないか協力的でない、専門機関がない、サポートがどこからも得られない」という現状は過酷でしかありません。独りでそれと闘うのはあまりに孤独で大変な作業です。処方薬物による離脱治療専門の機関設立を切に願います。製薬会社の利益のための薬の導入、蔓延と、それを黙認状態の日本の精神科医学の体制は、人が人を壊すのを黙って放置しているだけに見えます。根本的に変わらないと大変な未来になると思います。

 現在、断薬後4年程です。依然として先の見えない現状ですが、私はできる限り諦めないでいたいという思いにしがみついています。そして同じような苦しみを味わう人がいなくなることを心から願っています。