ベンゾジアゼピンの副作用及び治療の体験集

ここでは、実際にベンゾジアゼピンを服用された患者さんの「ベンゾジアゼピン副作用及び治療」について、①服用の経過(服用した原疾患等)、②処方時の医師の説明内容、③服用BDZの種類、④服用期間と頻度、⑤離脱症状の状況、⑥奇異反応の状況、⑦減薬体験、⑧遷延性の症状などを掲載しています。


No.1 体験者(M.T.)

 私がベンゾジアゼピンを処方された原疾患は「慢性めまい症」という自律神経失調症でした。処方病院は国立J病院(前医)で、「抗てんかん薬でめまい症を治療する方法を開発した。副作用はほとんどなく、多くのめまい症患者の治療に成功している」という説明でした。処方されたベンゾジアゼピンはクロナゼパム(ランドセン)を「少量使用する」との説明でしたが最大1日4mgが処方され、後に知ったジアゼパム換算評価すると1日80mgもの高用量でした(この用量はデパス0.25mg錠を96錠と等価、つまり、1日デパス96錠を服用していたと同じ力価)。服用を開始すると「ベンゾジアゼピンの鎮静効果」でめまい感が弱く感じたので、医師は増量を続けました。薬物依存閾値とされるジアゼパム換算2700mgまで4週間ほどで到達していました。増量されると急激に体重が減少し始め、1年間で13kg減少し、ランドセンを服用すると歩けなくなるほどの厳しい薬物でした。体重減少を国立J病院へ報告すると、「製薬会社に照会したところ、るい痩の副作用の可能性があるので、すぐに服用を中止するように」指示があり、一気断薬となり、断薬すると痙攣・せん妄状態となりました。1年半の間の総処方量は30000mgとなっていました。

 その際、名古屋市立大学病院(後医)へ搬送され、「ベンゾジアゼピン薬物依存及び離脱症状」の診断の下、減薬治療に1年半かけて断薬に成功しましたが、その際に認知機能障害及びうつ病を発症し、約3年間の寝たきり状態となりました。やっと、4年目に体調が回復し始め、4年経過後、元の職場に復職できました。名市大(後医)での減薬治療は、国立J病院(前医)がランドセンの処方用量を後医への「情報提供書」に記載せず隠したため、後医が「まさか、めまい症に抗てんかん薬のランドセンを1日4mgも処方されているとは想定しなかった」とされ、減薬速度が速すぎたことがわかり、各種の減薬方法の文献でみると、原則、「4週間ごとにジアゼパム換算0.5mgを減薬」に従えば、80mgの減薬には80÷0.5×4=640週間≒12年間かかります。その倍の速度で減薬しても6年間はかかる減薬治療が必要でした。名市大のてんかん専門医によれば「てんかん患者でも1日4mgは多い、ランドセンの減薬は原疾患のてんかんの再発状態を見ながら減薬するため、通常、数年はかかる」と言われています。復職後の4年後、名市大病院の「ベンゾジアゼピン薬物依存及び離脱症状、それに合併したうつ病及び残遺性後遺障害」の診断書により、国立J病院への医療過誤訴訟を提訴しました。

 しかし、裁判所は、被告側(国立J病院)の協力医の国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センターのM医師が裁判所に提出した意見書の趣旨の「❹ ベンゾジアゼピンの離脱症状は、ベンゾジアゼピンの服用を中止すれば2~3週間で自然軽快するので、医学的治療の対象とはならない。したがって、患者が長期の離脱症状(遷延性離脱症候群)と訴えるものは、すべて元からの疾患(原疾患)の再燃である。❻ ベンゾジアゼピン薬物依存及び離脱症状を訴える患者は、元からの精神病(原疾患)であり、中には、自分の生きづらさをベンゾジアゼピンのせいにしている者が多いと考えられる。」を採用した結果、裁判所の判断は、「一旦、ベンゾジアゼピン薬物依存及び離脱症状を発症したが、短期間で完治し、その後、同時期に潜在していた別の疾患のうつ病等を発症した」と判決し、極めて少額の賠償金の支払いを命じました。したがって、裁判所は、国立J病院(前医)のベンゾジアゼピンの重篤な副作用の説明義務違反」及び「適切なベンゾジアゼピンの減薬を施行する注意義務違反」を認めたものの、賠償金額は訴訟費用にも満たない少額となり、その後、最高裁へ上告しましたが、最高裁は「上告理由に当たらないので審理せず、上告棄却」となりました。なお、名市大病院は、ベンゾジアゼピン減薬時の諸症状を緩和するため、抗うつ薬(ミアンセリン、テトラミド)を併用しながらベンゾジアゼピンを減薬しましたので、その経過は右図のとおりです。どの薬物を併用するかは患者ごとにケースバイケースとされています。

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主なベンゾジアゼピン系薬物の処方力価の換算表(体験者 M.T.).pdf
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No.2 体験者(M.S.)

 平成13年(50歳)の時、めまいがひどくドクターショッピングで最終的に精神科に行く。診断はストレスによる自律神経失調症と言われ休職に入る。症状はめまい、不眠、胃腸障害、頻脈、動悸。この頃の薬はグランダキシン、トリプタノール、ハイゼット、ドグマチール、セパゾン、飲み始めて週に1回の診察だった。療養期間中も少しも回復の兆しがなく、めまいやだるさが出てきた。薬は言われるまま疑わず1日3度と寝る前に飲んだ。何年か経過して体調がさらに悪化して、めまいふらつきがひどくなり、雲の上を歩くようなふわふわ感が出てきた。薬の追加があり、アナフラニール、ハルシオンを服用すると今まで以上にフラフラ感が強く、飲むほどに悪化していき、主治医に相談するが薬のせいではないと言う。

 平成28年風邪をひいて風邪薬を優先して精神科の薬を三日間止めた。そうしたら大変な症状が出た。体全体にガソリンをかぶって火を付けて焼ける様に熱くなり我慢できない状態になった。両足首、両手首を刃物で切った。大量の出血で救急センターに搬送され命は助かった。精神科の医師は自律神経が高ぶって起きた事と言った。でも、考えてみたら風邪をひいて精神科の薬を3日休んで出た症状なのに関係がないのは変だと思った。自己判断で精神科の薬は止められないと気づいていたので。

 救急センターで傷口を塗って1日で退院しても体が熱いのは止まらず24時間アイスノンで足の裏や背中を冷やしていた。この状態で1ヵ月間我慢していたら、また全身がガソリンをかぶって火をつけたように熱くなり精神科に入院することになった。アイスノンが手放せなくなり、24時間体に付けたままで3日間が過ぎて、主治医が処方した薬がデパケンR、リスペリドン、リボトリール、トリプタノール、セパゾン。今度は6時間おきに飲んで頭がぼーっとして無気力になり、熱さを忘れさせるための薬だと分かった。1ヵ月半で退院して、その後自宅で無気力になり横たわったまま7ヶ月が過ぎる。主治医に「薬の副作用ではないか?」と尋ねると、「副作用を気にしていたら薬は飲めない。気にすることは無い」と返事が返ってきた。不審に思い医者探しが始まった。

 平成30年3月、やっと薬をわかる先生に出会えた。この先生は(前医)と違ってセパゾンには否定的な考えを持っている先生で、「自律神経失調症に全身が熱くなりピリピリして風呂にも入れないような症状はない」と言う。これから離脱療法が始まった。始めに今まで飲んでいたゼピンを1度に止めた。その結果、すぐに全身に熱いのが出て、先生もびっくりしたようで薬をリーゼ一錠だけ出した。次第に熱さが消えてきた。今の先生は「今まで17年間色々なベンゾジアゼピンを飲んだ副作用が体に残っている。消えるには長年かかる」と言った。やっとわかる先生に出会えて少し安心した。(前医)の処方箋はデパケンR、リスペリドン、リボトリール、トリプタノール、ハイゼット、グランダキシン、エリスバン、ソナラック、セパゾン、ドグマチール、ピンドロール、SSRI、アナフラニール。今はこれらを全て止めリーゼ5mg 1日3錠、エピリファイ1mg2錠、フルニトラゼパム1錠の3種類だけ。全部止めると再び副作用で全身熱くなるのが出るため最小限に出しているようだ。

 たったストレスによる自律神経失調症で、17年間と言う長い間にベンゾジアゼピン系の薬を大量に飲んだため、50歳から職を失いひどい体にさせられた。前医は薬が強ければ弱いものに変更しようと言う考えはなく、副作用をまた別の薬で押さえ込む。これでは現在もかかっている患者は、私と同じ道を辿る人がいると思う。



No.3 体験者(Y.I.)

 私は京都から主人の転勤で名古屋に移り住みました。そして、出産後の産後うつに。それから色々クリニックを転々としたのですが、うまくいかず名古屋の東部医療センターのKという医者に行き着きました。その時、抗鬱剤と一緒に処方されたのがレキソタン(ブロマゼパム)です。それから7年ほど経過しました。レキソタンを飲むと不眠が治り、寝られるのです。おそらく、その時は「鬱と不安症」だったと思います。その時、医師からはベンゾについての説明は全くありませんでした。7年間私が欲しいだけのレキソタンを処方してくれました。私はレキソタンには依存性があり副作用があるとは、これっぽっちも思っていませんでした。それからアメリカに来て、レキソタンが禁止薬物になっていることを知り、飲めなくなってしまいました。それからが大変です。不眠がひどくなり全く寝られない状態。体全体が痛い「繊維筋痛症」に、左目がすごく痛くて。横になっても下腹が痛く寝られない状態。頭が重く頭痛がし、頭が狂ってしまうような状態。体全体がビリビリしてしびれている感じ。ヒステリー球(咽喉頭異常感症)がぎろぎろいって、いたたまれない状態。光が明るくまともに外を歩けない。去年の今頃、結局アメリカでは医療が難しいと思い、日本に帰りました。そして自殺未遂を、そして入院してもロラゼパム(ワイパックス)というベンゾジアゼピンを、かなり量を減じて処方されました。そこでも、私は薬を信じアメリカに帰国後ずっと飲み続けてきました。しかし症状は一向に変わりません。

 アメリカでレキソタンは禁止薬物です。同じようにロラゼパムもベンゾジアゼピンですので、かなり疑いを持っていましたので、先月ぐらいから少しずつ断薬しようと思いました。しかし、それは私の体を蝕む結果になってしまいました。先程の症状に加えて「微熱やほてりや手の腫れ」が加わりそれに耐え切れなくなりロラゼパムを服用しました。すると気分だけはいいのです。私はこのことから確信しました。私は薬害の犠牲者かもしれないと。もう私の体は断薬しても元に戻らないかもしれない。わずかな望みを持ちながら、今減薬中です。



No.4 体験者(Y.I.)

 私は2年前、仙台でたった1カ月半でしたがMクリニックと言う心療内科に通っていました。症状は「不安と不眠」でした。そこで、睡眠剤と安定剤を処方されました。3回目の通院から眠剤ロヒプノールとハルシオン、安定剤レキソタンmax処方、頓服メイラックス、ドグマチール、通院時ジアゼパム注射となりました。約1カ月服薬していました。体調も良く主治医からは「一気にやめても大丈夫だ」と言われていたので、服薬が煩わしくなり、そろそろ止めようと思い、止めたところ約2日後あたりから、離脱症状が現れました。鳴り止まない高音耳鳴り、ドライアイ、ドライノーズ、ドライマウス、動悸、高血圧、頻脈、異臭がする。強い不安、手の震戦、足の痺れ、不眠などです。

 当初、まさか離脱症状とは分からず、近くの総合病院へ行きました。そこで、内科の先生へ心療内科に通院している事、処方された薬を伝えたところ、ベンゾジゼアピンの離脱症状の可能性があると言われました。しかも、この処方は重度精神病に処方するmax処方であると知りました。わたしは愕然とし、Mクリニックにクレームを言ったところ、「これらの症状はあなたの、元々の症状だ」と言われました。不安と不眠は有りましたが、その程度が10倍くらい悪化したものとなり、それ以外は全く無かったものでした。

 それから、私はほぼ寝たきりとなり、ネットで減薬の方法や離脱の緩和方法を調べまくりました。とりあえず、他の心療内科Tメンタルクリニックに転院し事情を説明し、長期作用型の安定剤に変えて貰い、そこから3カ月かけて減薬し断薬しました。食欲も無くほぼ寝たきりでした。途中で症状が辛い事への悲観により、自殺念慮も起きました。漢方も貰いましたが、あまり効果は感じられませんでした。この期間、比較的役に立ったのはサプリメントでナイアシン、グリシン、GABAでした。「ナイアシンは高量で摂取すると、抗不安薬と同じ効果がある」とフォッファー博士の文献により知りました。確かに効果が有りました。グリシン、GABAは同時摂取で眠くなる効果が有りました。

なんとか、3カ月でベンゾジアゼピンの断薬はできましたが、サプリは6カ月くらい使いました。断薬から1年半くらい過ぎますが、まだ少々の耳鳴りと記憶力が悪い症状が残っています。

 私が思うに日本の精神医療は大きな闇に包まれています。国ぐるみでメンタルヘルスを推奨し、「比較的健康な国民を精神科へ送ろう」としている流れとなっています。そこで、何も知らない方は廃人となっていくのでしょう。意図的な人口削減、アメリカ製薬会社の利益の追求を、感じます。長文で申し訳有りませんでしたが、是非応援したいので、この闇にメスを入れて頂きたく思います。



No.5 体験者(N.K.)

 転職して、数ヶ月後、「早期覚醒からの睡眠不足」になった。予約の取れた心療内科では「うつ病ではない」といわれていたが、実際は、パキシル(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)とマイスリ(ゾルピデムは、イミダゾピリジン系に分類される非ベンゾジアゼピン系の睡眠導入剤)を処方された。自信がなくなるや、体調が悪くなるなどあったので、担当医を変えて、トラドゾン(セロトニン遮断再取り込み阻害薬)中心及び睡眠薬中心の治療をすることになったが、悪化して休職に至った。

 その後、産業医に紹介された医者には「抑うつ状態」と判断され、サインバルタ(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)などの抗うつ剤を処方されたが、副作用が強く処方を中止した。その時の副作用で、過呼吸、息が乱れるなどがあったため、まずは、頓服としてセニラン(ブロマゼパム:ベンゾジアゼピン)を処方される。あと、頭痛(頭がミシミシ、ピキピキ、ズキズキ)があると訴えたためランドセン(クロナゼパム:最強力価のベンゾジアゼピンで「てんかん専門薬」)0.5mgが処方された。医師から、ランドセンは「頭痛と息切れ用だ」と説明された。

  一年前は、外出できる日があったが、昨年2018年の12月頃から、ランドセンを飲んでも頭痛、息乱れがとまらず、外出があまりできなくなった。この症状を抑えるためには、マイスリ(ゾルピデムは、イミダゾピリジン系に分類される非ベンゾジアゼピン系の睡眠導入剤)を服用すれば、ある程度おさえられる。ただ、寝て起きると息の乱れや頭痛の症状が再発する。メイラックス(ロフラゼプ酸エチル:ベンゾジアゼピン)に置換しようとしたがうまくいかず、ランドセンも0.25mgに減らしたがうまくいかず、最終的には、医師から「適当に調整してくれ」といわれた。あまり進展がないので、今月から転院することにした。




No.6 体験者(K.M.)

「ベンゾジアゼピン」がこんなに怖い薬だとは知りませんでした。私は周りの人を、そして西洋医学を信じて生きてきました。医療関係者として複雑交代制勤務を22歳からしていました。深夜勤務は、一人で30人以上の患者さんの安全を守る激務でしたから走り回っていました。朝7時30分〜12時30分まで勤務し、一旦帰宅。その晩9時30分から翌朝8時30分までの激務のあと帰宅。昼に寝るために処方されたのが抗うつ薬「アモキサン」でした。「仕事が大変、昼はなかなか家で眠れない」と訴えたからでしょう。最初は生協診療所の、内科医師に処方され、師からは「弱い薬」と言われました。その後、引っ越ししたので、職場近くのK内科に替えました。そこでは何を処方されたか覚えていません。不眠➡自律神経失調症➡うつ➡新型うつ病➡躁うつ病➡双極障害➡重度うつと、病名は変わっていきました。その度に薬の種類は変わり、量も増えました。飲んでも、飲んでも効きませんでした。うつ病の薬でうつ及び不眠の副作用が出ました。枕のせいかと思い、枕を9個買い換えました。マットレスが悪いのかと思い、厚さ5センチ、8センチ、15センチと色々揃えましたが、いずれも不眠には効きませんでした。でも、依存性だけはありましたから、熱心に、何をおいても薬を貰いにいきました。真面目に薬の袋に書いてある通りに残さず飲みました。激太りしました。44キロだったのに68キロになりました。制服のサイズは4Lになり、特注でした。生理の出血量が非常に多く、三日間は大変でした。仕事は休めず毎月恐怖でした。それもベンゾジアゼピンの副作用だったことは、やっと最近知りました。覚えているだけでも、10種類は処方されました。ハルシオン(Triazolam)は、服用したら3日間(トイレ以外は)寝続け、よく効きました。ハルシオンは別の内科で処方されました。そのあとは心療内科で、ユーロジン(Estazolam)、ワイパックス(Lorazepam)、レンドルミン(Brotizolam)、フルトラニゼパム(Flunitrazepam)、ブロチゾラム(Brotizolam)、レキソタン(Bromazepam)、ソラナックス(Alprazolam)、リボトリール(Clonazepam)、ハルラック(Triazolam)、その他:リフレックス(Mirtazapine、四環系抗うつ薬)、抗痙攣剤テグレトール(抗てんかん薬)、ラミクタール(抗てんかん薬)、デジレル(Trazodone、抗うつ薬)など、多数次々と処方されるがまま服用しました。私はホントに馬鹿でした、高血圧になり、コレステロールも上がり、脱毛、全身皮膚掻痒、夜間の失禁、背部痛、筋肉の痛み咳、子宮出血、子宮ガンの疑いと言われました。こうして数々副作用が出ましたが、その時は副作用とも知りませんでした。医薬品添付文書の存在も知りませんでした。まさに病気のデパートでした。いずれも添付文書に記載されている「ベンゾジアゼピンの副作用」だったとは知りませんでした。もっと早く、ベンゾジアゼピン被害者の会と出会いたかったです。究極は、63歳で耳の激しい痛みで、ホカロンを耳に貼付、そのあと64歳で目の激しい痛み、目が開かない➡眼瞼けいれん➡退職➡障害者手帳の却下、首が震える、体が揺れる。2年前に、薬を完全にやめた今は離脱症状で、七転八倒の日々です。障害者とも認められないのです。身体の震えと目の痛み、目が開かない、目の眩しさ、涙が一滴も出ない、鼻の痛み、顔中の痛み、首の痛み、肩には20キロの鉄の重しが乗せられている強ばりの日々です。四肢冷感。足の裏の痛み、起きて落ちている輪ゴムを拾うのも揺れて拾えない。全身のあらゆる症状の離脱症状で、毎日、苦しんでいます。私は、ベンゾジアゼピンの被害は「私で最後にして」と叫びたい。



No.7 体験者(Y.S.)

 この体験談は、私はベッドの寝たきりから送信しております。最初は、ただの「耳鳴り」を騒音と勘違いし、不眠になったことにより、勤務先会社からの勧めで(ちゃんとした心療内科の予約が取れなかったため)、仕方なく精神科に行ったところ、「耳鳴りだった」と言っているのに、たまたま持参していたメモに「幻聴」と一言書いてあっただけで、統合失調症だと決めつけられ入院いたしました。その後、自主退院しましたが、統合失調症の薬の副作用のため、自炊できなくなり再入院しました。統合失調症の薬はやめられましたが、その際、睡眠薬として処方されたのがユーロジン(Estazolam)です。合計で7日、連続では7日しか飲んでいなかったのですが、ひどい頭痛と聴覚過敏の副作用があったため、医師に言うと変薬もなしに、その日で服用中止となりました。すると血中濃度がゼロになった翌々日、体が揺れるようになったのです。最初は「めまいのひどいもの」だと思っていましたが、そうではなく神経がおかしくなったようでした。私はもともと「めまい」の症状があり、治っていたとはいえ、まだ自律神経が不安定な状態だったのでしょう。おそらく内耳の前庭神経に通じる中枢神経が、ベンゾジアゼピンの中止によって、どうにかなってしまったのかと推測しています。 1週間後、薬を1日再服用しましたが、また頭痛が酷かったため服用をやめたところ、体の震えや頭鳴りが続き、目にも異常が出てきたため、怖くなってさらに1週間後、倍量を服用したところ、体の震えは治りましたが、体の揺れは一向に収まりません。目の症状も残ってしまいました。短期間での依存はないと言われていますが、薬の供給がなくなると神経の異常が起こってしまうようです。

 最初の一気断薬から約3ヶ月、そんな症状でもいつかは収まると思い微量減薬してきましたが、つい先日、複数飲んでいる錠剤を一つ飲み忘れてしまったのです。夜中に飲んでいるものですが、いつもより9時間ほどあとに気づきすぐ飲みました。ですが、遅かったのです。すぐに飲み直したので、軽い副作用(又は離脱症状)でおさまってくれ、と願ったのですが最悪のケースでした。今まで苦労してきた前庭神経の異常がさらに悪化したのです。もともと異常が残っていたところに薬の供給が減ったからでしょうか。

 今まで、左半身はなんともなく右側だけが、右から押される感じだったものが、左後方下の方へ、今までより強く引っ張られる感じが収まらず、ずっと動悸と皮膚の引き攣りみたいなものが続き、喉を締められているようです。腕を回すと自分の思っているより後方に早く回ります。まっすぐ歩こうとすると横や後ろへ抵抗を感じ、筋肉があっという間に疲れてしまいます。そのほかに視神経も、さらにおかしくなってしまい、常に寄り目にしているような、とてもおかしな視界です。以前は自転車や車に乗って動いている時は平気でしたが、今は前から首を抑えられるような感じになってしまい、それも困難になってしまいました。こんな数時間飲み遅れただけでこんなことになってしまうのです。

 最初の神経の異常からずっと働けていませんが、日常生活はなんとかやっていました。いつか終わりが来ると。ですが、今回、自己責任とはいえ買い物すら困難になってしまいました。散歩も、遊ぶこともできません。長時間立っていることも座っていることもできません。でも一人暮らしなのでやっていかねばなりません。もともとは、極々短期間の断続的な服用でしかなかったのに、あんまりです。急断薬と個人の体質により、副作用(又は離脱症状)の回復は服薬期間には関わらず数年かかるようですが、その前に疲弊してしまうでしょう。もう元の人間の世界には戻れないのではないかと思っています。ネットで自分と同じ症状の人が、二回断薬失敗していたのですが、元に戻っておられないようでした。ベンゾジアゼピンの急断薬を何度も続けると、非常に体が敏感になって、元に戻らないとも言われています。最初の断続的な服用が小さな断薬行為になっていたことも否定できません。2回失敗しても軽い症状のみで、何もない方もいますが体質によるかもしれませんが、こんな短期間で、人生と体を崩壊させる薬だということを知ってもらい、新規の患者への処方は禁止(又は制限)すべきだと思います。

 私は家族のサポートも得られず、この先どうなるかわからず、最悪のパターンでしょう。2週間に満たない服用期間でも、急断薬・急減薬すると人生をぶち壊す症状が出ることもあるのです。医師には、どんな短期処方でもゆっくり減薬することを周知させねばなりません。